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2012年4月16日 (月)

歴史の中で今の日本を見る

この記事は必読だと思いました

思想家・内田樹氏の
「沖縄タイムズ・ロングインタビュー」

http://blog.tatsuru.com/2012/04/13_1524.php

先日のブログで
歴史の見なおしをしている
学び始めている
ということを書きましたが

この内田氏のインタビューは
私が歴史の中で見つけたいこと
考えたいことを
より深いところで
語っており

私がまだまだ
気付いてないところを
より鋭い視点で
語っています

記事のタイトルにもあるように
「ロングインタビュー」なので
長いものではあります

だけれども

読むに値することが
ここでは語られていて

ぐいぐいと
引き込まれました

そして

ぜひみなさまと
シェアしたいと思いました




今日もお付き合いくださりありがとうございました

2012年4月13日 (金)

歴史を見なおす

歴史を見なおしています
というより
学び始めています

311以前は
前だけ見ていればいい
過去に戻るような科目に時間を注ぐのは
もったいない

などと
思っておりました
大バカ者ですね

だけど今
学校教育があまり重点を置かない
歴史、哲学、倫理という科目は

実は英語よりも
大切だろうと切に感じ始めています
(あ、英語は大切ではない、とは言っておりませんョ)

あとは国語です

外国語の英語以上に
母語の国語力が大切だと
思い始めています

幼少期から
英語を学ぶ方が
発音や語順をマスターしやすいという
利点はありますし

小さな頃から言語を通じて
異文化に触れることは
視野を広げてくれるので
とても良いと思います

ただ

社会に出て「何が大切」になるのだろうかと
考えた場合

歴史と哲学や倫理
そして
母語である国語が
とても大切になるのではないかと
思い始めました

それは
自分の立ち位置を知るために
必要だと
思ったからです

原発問題にしても
歴史の流れの中で
ものごとを考えていく――
そうすることで
本質的問題点に
着地することができます

本質をとらえることができれば

これから日本で
もしくは世界で
どのように自分が生きていけばいいのか
自分自身の判断基準というものが
持てるようになると思います

本質をとらえられれば
マスメディアの報道や広告代理店のPRに
振り回されることは
少なくなると思います

日本人が選挙で投票する際
「イメージ」で投票してしまうのは
きっと

歴史をきちんと学べるような
教育システムになっていない――
というのも
大きな理由のひとつかもしれません

外国人に対する偏見も
歴史や哲学をやっていないゆえに
生じている問題
と言えるかもしれません

文明の発達により
私たちの世界は本当に
近くなりました

であるならば
自分の考えを説明し
相手の立場を理解するための
コミュニケーションのベースとして
歴史や哲学・倫理観が
とても大切になると思います

同じ日本人同士で日本語を話してても
意志疎通がうまくいかないと
よく聞きますが

それはやはり
母語の力が落ちてきているのではと
感じています
(自分の日本語力も落ちてると実感しております)

大切なことは(答は)
自分の中にある――

英語を学ぶことで
立体的に日本や日本語を
見つめることができるので

英語(もしくは外国語)は
意欲のある方なら
やった方が良いと
個人的には思っております

ただ
英語(外国語)はやるけど
母語を軽視するとか

グローバル化=日本軽視

というのは
ちょっと違うよなあと
自分自身
反省することが多々あり

歴史を学びながら思ったことを
今回

このような記事にして
書いてみました





今日もお付き合いくださりありがとうございました

2012年4月11日 (水)

4月11日に思う

震災から1年を過ぎても
何かが終わったわけではありません

政治も増税うんぬんで
与党野党がもめており

そんな場合じゃない
誰もがそう思っていると思うのですが

国会の先生方は
国民の目線をすっかり忘れ
マニフェストを堂々と
破っています

今日はスマトラで
マグニチュード8.6の大地震がありました

建物の大きな崩壊や
311のような大津波による被害は

いまのところ
なさそうなので

良かったです

地球はつながっています

スマトラ大地震も
他人事とは思えません

ひょっとしたら
なんらかの形で
日本にも

影響はあるかもしれない・・・
と思ったりしています

不安を抱えて
生きていくことは
しんどいです

だけど

最悪の場合を想定したうえで
人生を見つめ直し

それによって
後悔のない人生を
考えていく――

ということは
決して悲観的思考でもなんでもなく

むしろ
建設的・生産的思考だと
思っています


今日も最後までお付き合いくださりありがとうございました

2012年4月 9日 (月)

桜を見ながら思ったこと

桜の美しさは
言うまでもないのですが

桜前線情報が流れ
お花見報道がされると

一気に
自分の中の桜への想いは
薄まります

ただのひねくれ者
なのかもしれません

でも
日本人の一点集中
のような騒ぎ方が
性に合いません・・・

特に先週末は
どこもかしこも桜、桜、桜・・・

桜祭り、桜まんじゅう、桜アンパン・・・

この日本人の盛り上がり方と冷めっぷりは
今年の311の追悼報道と
似ている気がしました

あれほどの原発報道特集が一周年を過ぎてからは
一気に減少・・・
まるで桜のような日本人・・・

桜の命は短いから美しい
とよく言われます

それゆえ
桜に惹かれ
熱狂するのもわかります
自分の中にも
そういった感情はあります

でも

桜がわーっと咲き
すぐに散る

というその寿命の短さが

熱しやすくて冷めやすい
日本人の心情を象徴しているようで

なんだか
桜に対して申し訳なく感じ
複雑な気持ちになりました

自然観――
これはおそらく日本人の根っこに
根ざしているものだと思います

自然に逆らえない
風が吹けば
雨が降れば
花びらが散ってしまう――

そういったはかなさを
日本人は自然から学び
「しょうがない」
というあきらめも
自然の変化から学んできたのだと
思います

この自然観は
とても大切なものだと思います

だけど

流されてばかりではいけないこともある――
ということを
私たちは昨年の原発事故で
学びました

変えなくてはいけないことに関しては
桜のようにうわーっと咲いて
すぐに散る
という寿命の短い心の持ち方ではなく

論理性を大切にすることで
変化を起こしていくこと――

美しい桜並木の下を歩きながら
思いました




今日も最後までお読みくださりありがとうございました

2012年4月 8日 (日)

「食べ物」への欲望

「日本のテレビ番組はグルメとお笑いばかり」
とヨーロッパの女性が先日
とある番組で話されていました

そう感じてる方は
日本人の中でもたくさんいると思います

とくに311以降は
そう感じてる人
増えてると思います

だけど

それはマスメディアだけだろうか――
と疑問に思いました

たとえば
twitterやfacebookのタイムラインから流れてくる写真――
「食べ物」って多いんですよね
ラーメンのアップ、ケーキのアップ
飲み会の席に並べられてるお料理のアップ・・・

とにかく「食べ物」のアップ写真
多いです

一方
外国人の友人のタイムラインでは
「食べ物」写真出てこないんです
(少なくとも私がフォローしてる外国人や
外国の友人の写真には「食べ物」写真がないです)

立食パーティでも
外国人は新しい情報を仕入れたり
友人を作るために
「会話」に夢中にりますが

日本人は「食べ物」そのものに
夢中になる傾向が
見られます

もちろん個人差はあるので
一概に決めつけるつもりは全くありません
「食べ物」に夢中になる外国人もいるかもしれないし
会話に夢中になる日本人もいると思います

だけど

「あ、食べ物がなくなっちゃう!」
というノリで
ひたすらお料理を手持ちのお皿にてんこ盛りにして
口へ運ぶ――これは
日本人の方がはるかに多いなあと
ずっとずっと感じておりました

日本人が口に食べ物を詰め込んでるまさにその間
外国人は
情報収集や友人作り
コミュニケーションのために
口を開けているのです

そう考えていくと
メディアの番組内容は
私たち市民そのもの(思考とか欲望とか)
を反映させているなあと思います

グルメ情報番組で
タレントさんが
「食べ物」を口にし
「美味しい~!」と感嘆ている間

外国メディアでは
原発情報にしろ何にしろ
社会問題について報道されているということを

忘れないようにしたいものです

目の前に見せられた
欲望をそそる「食べ物」のアップ写真や映像――これに
つられてしまうと

今の日本の問題点が
呑み込まれてしまうのではないか・・・
と不安でなりません


今日も最後までお読みくださりありがとうございました

2012年2月17日 (金)

日本人の社会的文化的意識あり方について思うこと

実は最近
カナダのラジオ番組をよく聞いているのですが
」という番組では
バレンタインデーにちなみ

一夫一婦制
ゲイレズビアンの人権と結婚
について語ることで
現代の恋愛事情について
焦点をあてていました

実はこのテーマに
とてもビックリしたのです

だってこれって
日本ではちょっと考えられないような番組の企画だと
思いませんか?

日本だったら

こんなテーマ
重いしカタイよね
一体誰がオモシロがって
聞いてくれるんだよ
ってなっちゃいませんか?

でもカナダでは
これができちゃう
こういう企画がとおっちゃう

我が国日本のことを考えると
ショックでもありました

この社会的文化的な違いとは
一体何なのでしょう――

日本ではチョコレートの売れ行きとか
何個上げた?
何個もらった?

そんな話が主だと思います

なのに「Q」では
現在日本でも上映されている
クリント・イーストウッド監督作品「Jエドガー」の脚本を担当され
ミルク」でアカデミー賞脚本賞受賞者でもある

ダスティン・ランス・ブラックという著名人をゲストに迎え
ゲイの人権と結婚という
とても大きく深い問題について
意見をうかがっていたのです

日本では
チョコを何個買ったとか
誰にあげたとか
誰からもらい
何個もらったのかとか

バレンタインのホロ苦い思い出とか

どのショップ
どのブランドがいいとか

そういう他愛のない話題を
楽しそうに話す――

というのがたぶん
一番心地良いのかもしれません

でも

「Q」にゲスト出演した
脚本家のダスティン・ランス・ブラックの話を聞きながら
こう思ったんです

日本では原発問題があって
あれほどのことがあったにもかかわらず

あいかわらず
広告代理店とチョコレート業界が作り上げた商業イベントの世界の中で
きゃっきゃっと言っている――

つまり
世の中が作り上げたイベント
誰かが作ったイメージの中で
あれほどのことがあっても今もなお日本人は変わらずに生きている――

ちょっと怖いなあと
思いました

だけど
「Q」を聞いていると
それこそ悲痛な声で
ゲイの人権や結婚の意味について

社会を変えよう
自分の人生を自分の手で創り上げていこう
というような

腹の底から出ている声で
ブラックは語っていて

彼のその声は
同性愛者でない人々にも
十分届くものだったと思いました

だからこそ
多くのリスナーに届くだろうと認められたからこそ
カナダのCBCという大手メディアで
企画が通ったのだろうと
思いました

同性愛者であろうがなかろうが
そのテーマが

本当に社会的にも文化的にも価値あるものだと
思えるものならば
カナダのリスナーは聞くだろうと
CBSのプロデューサーなりディレクターなりホストが
判断したのだろうと思います

別の見方をすれば
リスナーは社会的文化的な深く大きなテーマであっても
十分に耳を傾けてくれるだろうと
信頼されているとも言えますよね

果たして日本のメディアは――

別に同性愛のことにとどまらず
社会的文化的なテーマを
腹の底から語れるような番組が一体いくつあるだろうか・・・

果たしてリスナーは
社会的文化的なテーマに関して
深く聞き入れるほどの知的好奇心と探究心と向上心が一体どれほどあるだろうか・・・

日本では
経済的なテーマに関しては
十分語られています

要するに
「カネ」絡みになっちゃうんですよね
日本人の話って

社会や文化になかなか目がいかない――

日本人が大好きな経済学者ピーター・ドラッカー
「ネクストソサエティ」という本の一行目に

日本は誰もが経済の話をする。だが、日本にとっての最大の問題は社会のほうである

と書いています

原発事故があり節電が呼び掛けられ
少子高齢化社会を迎える今
私たち日本人は
本気で経済一辺倒の思考回路から脱出して

社会の在り方
文化の在り方について
考えていく時期にきているだろうと
カナダのラジオ番組「Q」を聞きながら思いました




今日も最後までお付き合いくださりありがとうございました

2012年2月11日 (土)

11ヶ月が経ちました

まだまだ何も
解決などしていません

そんな中

国は
原発再稼働に向けて
着々と
動いています

沈痛な憤りを感じている人
疲れてしまっている人
諦めてる人

街を歩けば
「節電中」という紙が
いつの間にか
店頭から減っている日常風景

綺麗な太陽光が入ってくる
電車の中では
かつて節電によって
昼間の電気が消されていた――なのに今

煌々とした電気が昼間から
再び車内では使われていて

自然光の美しさが
人工的な光の圧倒的強さに
打ち消されてしまってるように見えてしまう――

街角を照らしている
眩しすぎる電光掲示板の数々

人々の心は
「疑問」を持つ余裕さえも
見つけられぬまま

人工的に生み出された電気の中を
歩かされているようで

その無表情な顔たちが

文明の光に
映し出されている様子を見ながら

やっぱり
このままじゃいけない

そう
あらためて思いました



今日も最後までお読みくださりありがとうございました

2012年2月 4日 (土)

節分が明けて、新しい年

東洋の暦では
節分が明けた今日から
立春になり
新年になるようで

今年は「壬辰」という年だそうです

聞くところによりますと
「壬」という字は
女を左側につけると「妊」となるので
「妊娠」

ふむふむ

なるほど

なので今年は
いろいろなものが「生まれる」のでは
と言われたりしているようです

また

「辰」という字は
「震える」の中に含まれてると聞き
これまたなるほど

なので
今年もまだまだ
地震・震災などの自然災害には
注意をしたほうがよいと言われているようです・・・

うーん・・・

良いものごとは「生まれて」欲しい
だけど
大地を揺るがし
私たちの生活を震え上がらせるような災害は

起きて欲しくない――

こればかりは
自然の偉大さに
畏れるばかりで

結局のところ
人間はやっぱり
大自然の中のちっぽけな生き物の一つに過ぎない・・・
(あ、ネガティブな意味で言ってるわけではないですョ)

それにしても
このように
漢字の意味から
今年を見ていくというのは
さすがに東洋的ですね
(信じる信じないは別にして)

こんなふうに漢字を見て
言葉の意味を想像するということ――長い間

ずーっと
忘れていたよなあと
思ったりしました

たまにはこういうふうに
漢字をじっと見つめて
想いをめぐらし
意味を考えてみるのも
大事かもしれませんね

では
あらためて

今年がみなさまにとって
良き年でありますように
心からお祈りいたします


今日も最後までお読みくださりありがとうございました

2012年2月 2日 (木)

終わりと始まり

ポーランドの女性詩人で
1996年にノーベル文学賞を受賞された
ヴィスワヴァ・シンボルスカ

2月1日肺がんで亡くなられました

彼女の詩をいったん読むと
読まずにはいられない――
まるで中毒にかかったように

彼女の言葉をものすごく求めている
自分がいました

なんとも言えない美しい言葉――
ドキッとするイメージ

さらりと
シンプルに――

彼女の深さと豊かさ
そして

鋭さと成熟さが
とても愛おしいです

彼女の代表作の一つとも言われている
「終わりと始まり」

まさしく原発問題を含めた今の日本そのものが
重なってみえてきます

   「終わりと始まり」

   戦争が終わるたびに
   誰かが後片付けをしなければならない
   何といっても、ひとりでに物事が
   それなりに片づいてくれるわけではないのだから

   誰かが瓦礫を道端に
   押しやらなければならない
   死体をいっぱい積んだ
   荷車が通れるように

   誰かがはまりこんで苦労しなければ
   泥と灰の中に
   長椅子のスプリングに
   ガラスのかけらに
   血まみれのぼろ布の中に

   誰かが梁を運んで来なければならない
   壁を支えるために
   誰かが窓にガラスをはめ
   ドアを戸口に据えつけなければ

   それは写真うつりのいいものではないし
   何年もの歳月が必要だ
   カメラはすべてもう
   別の戦争に出払っている

   橋を作り直し
   駅を新たに建てなければ
   袖はまくりあげられて
   ずたずたになるだろう

   誰かがほうきを持ったまま
   いまだに昔のことを思い出す
   誰かがもぎ取らなかった首を振り
   うなずきながら聞いている
   しかし、すぐそばではもう
   退屈した人たちが
   そわそわし始めるだろう

   誰かがときにはさらに
   木の根元から
   錆ついた論拠を掘り出し
   ごみの山に運んでいくだろう

   それがどういうことだったのか
   知っている人たちは
   少ししか知らない人たちに
   場所を譲らなければならない そして
   少しよりもっと少ししか知らない人たちに
   最後はほとんど何も知らない人たちに

   原因と結果を
   覆って茂る草むらに
   誰かが横たわり
   穂を噛みながら
   雲に見とれなければならない

ヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』
(翻訳/沼野充義)

今日も最後までお付き合いくださりありがとうございました

2012年2月 1日 (水)

右も左も関係なく

1月23日が
旧正月でした

旧暦でいうと
今日は1月10日です

寒さからしても
旧暦で数えた日付けの方が
どことなく

しっくりと感じます

なのに太陽暦では
今日は2月1日

ああ・・・と
ため息が出てしまいますね

もう
新年あけてから
あっという間に1ヶ月
経ってしまったのかあ・・・と

便利な世の中になった分
時間が過ぎていくのも
半端じゃないくらい
速く感じます

なんとか
自分の軸足はぶれることなく

一歩一歩
右とか左とか関係なく

自分のペースで
自分の選んだ方向に進んでいこうと

あらためて思います


今日も最後までお読みくださりありがとうございました

«津波と桜